どうなんだろう
これから先も今も正直今も
追えば知ることになる
あまりいい気持ちにならない事実とか
いやになったり
しかし人生とはなんだ、私は何をすればいいんだと考えたとき
人生とは、「する」ことしかできない もちろんこれは「しない」をする、を含む
そして、色んなことが起きて、その都度ものを感じて嬉しくなったり悲しくなったり、誇らしくなったり体の奥から溢れるようなパッションを感じたり
そういう感じ方、をするのが送り方
ならわたしが「何かをする」、その結果に応じて自動的に感情が生まれて「その気持ちになる」
それが生きるってこと、日々を過ごすってこと
なら
どんな要素が私の周りにあろうと
わたしがポジティブな感情を感じるためだけに
人生はあるわけで。
(上記は「自分のことしか考えてない!」みたいな自己中さがあるように見えるけど、そうじゃなくて、「他の人のためになることをした」とかも自分にとっての耐えがたい喜び、得難い達成感になる)
情報の取捨選択は、自分のメンタルをハッピーにするためにとても大事。
個人として人生哲学を築き上げて、自分なりに目指してみている人生を過ごしている自分に対して笑いかけない人のことを目や頭が捉えないこと。
きっと大事。
こんな文章にも、あんまり意味がないわね。
くだらないな
なんだかくだらないな本当
ずいぶんとズレているんだよ
虚しいなー
パズルがはまらない
いくらでかいでかい高い長いピースをがんばって作ったとしてもその時にはそれが通る穴は小さくなっているし
ピースがほんの小さくあった時にはガバガバの門だったからスイスイ入ってきてたんだ
うーん、こういう俯瞰ができるのは暇な今だけなんだろうな、入社したら目の前のことばかりになるんだろうな
俯瞰してばかりで下界に降りて苦労しないのよくない
必死に目の前のことに努めるのも立派だけど俯瞰ができなくなっちゃうのもよくない
バランス