omaega_narundayoの日記

他人向けに書いていないので読んでも意味がわからないと思うし、読みづらいと思います。

ハイドロキノンの朝 20分ただアウトプットの時間

「わたしは自分が嫌い」「毎日死にたいと思っているはずの自分」という精神の大前提があっても

嫌いなはずの自分でも

死ぬのは 怖いんだな

変わるのって怖い

変わるのが怖いと思うような年齢(22才)になったということなのか

10年前の小学生だった頃は

6年前の高校生だった頃は

そうではまるでなかった

変わりたいと思うことが自然だった

し、変われるって思っていた

今思えばあれは「人は環境さえ変わればむりやりにでも変われるだろう」「私は今自衛隊に入ったら超鍛え上げられてすごい人間になりますよ」という、わたしの一つの実験だったんだな

 


この6年

色々なことに失敗した

私の考えはずいぶん変わった

昔は自分から進んで旅行のパンフレットの表紙の絵を描く係になったり

ダメだと思うクオリティでも提出はしたりした

あなたが漫画家になったら絶対買う!!って

あの優しいクラスメイトが教室で言っていたの今でも覚えてる

クラスメイトは全然覚えてないだろうけど

そういうのって忘れない

サークルに入ってみたのにやめてしまったり

バイト始めてみたのにフェードアウトしてしまったり

ボランティアやってみたけど自尊心の塊だったから変にもう行けなくなったり

2020年、まだ新しいはずの去年ですら、私はもう少し新しい行動を起こせていた

今では信じられないくらい

去年の春で、晩夏で、ストップした

最近の私の態度は家族などにとっては随分冷めきっているんだろう

このブログの一番最初の記事なんかが物語っている。自分に期待するのにうんざりだった。続くんじゃないかな!?と期待して裏切られたくなかった。

わたしはずいぶん、自分について諦めるようになった

ダイエットを冷めた目で見るようになっていた

1月の頭から食事制限をスタートした頃、まだ自分に期待する目は輝いていたかな

1月2〜1月21くらいの3週間

今までの最長が2週間未満だったらしく、私は随分恐ろしいと思いつつも喜んでいた

今日は2月12

終わってから3週間が経過した

 


習慣化に成功すれば、息をするように、自分は「好きな自分」に成り代わる 気づいたらもうなってしまっているのだ 昔から着てる服のように馴染む それが習慣化の1番の成功なのだ

そして気づかないうちに「嫌いな自分」が死ぬ

こんな自分でも、死ぬのは怖いのだ

死ぬのが怖いと思ってしまっていた

歳をとってから変わることが難しいと言われるのはこのことなのかもしれない

人生のパターンを何も知らない頃にはこんなことにならない、もっと自由に動けるのだ

歳食ってからだって理論上はなんだってできる。若い時に、人生の思考パターン形成途中期にやっておくべきは、怖がらないことを獲得する、そのために投げ出さないことだと思った。死ぬまで人間は変化しつづけるかずっとそのままでいるか、そのどちらかなのだから。変化を恐れるような状態になってはいけないのよ

今日は5時半に起きた

きっと私は5時半に起きたことを誇るのだろう

いつもと違う行動パターンを取ると、ドキドキする

私は11時半に起きたとき、無意識に安心していたのだ。


そんな感じ

 


ハイドロキノンの朝

ハイドロキノン付きの顔で6時までに町内を歩き回ること。太陽が出たら負けだから。シンプル。

 


わたしは何も考えない

上で述べたような理論とか、人生の俯瞰とか、考えないとき

そのとき私は

ああ、何にも縛られず 恐ろしい思いもせず

絵を描いていたあの頃が一番幸福だったと

感じる

 


朝起きて何にも邪魔されていない時空があるとき

夜眠りに落ちるまで脳が働いてしまう間

そんなときに私の目の前にあるのは

自分の今までの人生なのだ

やってきたことと結果、なのだ

その二つだけが、死ぬまでの私を、死ぬ間際の私を、追い詰めるんだ

 


お腹が空いた…

外に出てもいいだろうか

 


これを無かったことにしてはいけないのだ

ツイートはすぐに流れていってしまう、ほんと流れの早い河に落とした葉っぱくらいどこに行ったのか二度と見れなくなってしまう

この朝を無かったことにしてはいけないのだ

 

わたしは変わることから逃げられない。

自分の追い求める姿がある。

こうなりたいと思っているし、なぜこうなりたいのか?と聞いたらそれには目的がある。そして今の自分が生きているままでは、死ぬ時に猛烈な後悔が襲う。人一人の自意識は、人一人ぶんの一生の間しか続かないから、恐ろしい思いをすることになる。

 

だから私は、たとえどんなに怖くても、その恐怖を真正面から受け止める義務がある。

スプーンにすくったジャムを口に入れるくらいしっかりその味を味わうのである。

恐怖と私はセットでしょ

4月が怖い。

会社が怖い。

社会が怖い。

理不尽が怖い。

「大人になる」に存分に殴られなきゃいけないのが怖い。

朝が怖い。

朝起きることに成功することと、その朝を有効に使えるかは別だから怖い。

6時に起きていたとして、顔も洗えたとして、今の生きているわたしは外に出かける勇気がないし。

普段12時に起きているから、12時に起きてとりあえずごはんを食べているから、ああやることないなと思ってスマホを7時間はしているから。

朝早く起きるとわかる。起きるのが遅いことが問題なんじゃないってこと。根本的には、わたしにはやることがないことがまずいんだってよくわかる。やることをやっているならば遅く起きて遅く寝ることに問題はないから。

問題に直面することになる。

「やることない問題」

 

美容って暇だからやるんだよね…

よくわかる

 

ジム予約するしかない。。

あれだけでもだいぶ大きな刺激になるし、やることになるよ

一つ行動始めると2つ3つって行動につながる、思考に繋がる

ていうか予約って1ヶ月とか埋まってること十分考えられる

早く電話するに限る。。。

 

ああ、変わるのは面倒だ

今の自分でいることはラクだ。。

こんなことしないでも済むまっすぐな人間に育っておくんだった。。

そんな人間なんていないのかもしれない、誰だって変化の恐怖の味を知っているのかもしれない。

 

私がしたいことは端的に、一番的を得た言い方をすれば、殺人である。

殺せれば殺せるほどいい。

ほんとは100人1000人と殺せられれば理想的であるけど。

1人や2人殺せられればそれでいいと思う。

まずはそれでいいんだと思う。

 

たくさん自分を殺すほど良いのかはよくわからない。

私は誰より自分を憎いと思っているけど、人から見たら良いところもあるのかもしれない。

殺すべきじゃないわたしもいるのかもしれない。

意外な産物

負の遺産しか

残らないと思ってた

わたしの半生

 

ボールケアの瞬発力

人が困ってる時に助ける駆け足の速さ

 

すごいことだよって言われた

まあそうなのかもしれないけど

 

どこで役に立つんだよ、ってね😌

わたしはあたたかい笑顔が似合うなあ

心があたたかいときが一番自分らしい

頬が緩んでなごんで笑っちゃう時

 

恋愛してる時はあんまり自分らしくなかったのかも

よく見せようとか

男の縦社会とか

プライドとか

クソ野郎がって思ったり

そんなのはわたしじゃなかったんだなー

 

こたつ